岩田洞橋 ~橋名が変化した橋~(宮城県)


偶に地名の変化の名残に出くわす事があります。例えば、近鉄奈良線旧生駒隧道隣の孔舎衛(くさえ)坂駅では、周辺に孔舎衙(くさか)小学校等の表記が残り、この駅も元々は日下駅として開業した駅。古文書では日本書紀に草香との表記もあるそうで、漢字や音が長い年月を経て変化した痕跡が見られ、歴史を感じさせます。
この橋は仙台と山形を結ぶ作並街道に残る廃橋で、橋の北側には奈良時代に仏僧行基が発見したとも言われる、歴史のある作並温泉の宿が並び、1953年隣の高い位置に上路ワーレントラスの新橋が架設され道路の切替と共に廃橋となりますが、新橋は湯渡戸橋(ゆわたど)と橋名が変化、2022年に架設された現在の橋もその名を引き継いでいます。
仙台市の出身の郷土史家編の「広瀬川の歴史と伝説」にこの経緯が記されていました。要約すると、宮城村(青葉区の一部)の村長と作並へ同行した際に、この橋の欄干に「岩田堂橋」と記されており、由来を村長に尋ねるも分からず、「イ」はお湯つまり作並温泉の事、「ワタドー」は谷の渡河点を意味する渡戸で、正しく書くと湯渡戸であると説明し、架替の際に改められたとか。明治10年代作成の「宮城県地誌付図」にも「湯渡橋」との記録があり、三原氏の説明も単なる音の分析ではなくそれらの史料を踏まえてのものか。
元々の名は何なのか、そもそも元の名に戻さなければならないのか、川を転がる岩がやがて角が取れて玉石に成っていくように、長い歴史の中で変化を繰り返し辿り着いたその名もまた、歴史の重みがあるのではなかろうか、そんな事を考えさせられる橋でした。
・竣工:1933年
・構造:上路2ヒンジアーチ橋
参考文献・本邦道路橋輯覧 第3輯/シビル社(図面出典共)
・広瀬川の歴史と伝説/三原良吉編
・宮城県文化財調査報告書第66集/宮城県教育委員会
#BridgeTrek
投稿日時 2025-08-02 20:45:26
投稿:Jun Ito