岩淵水門と青山士

【岩淵水門 概要】
明治43年の洪水被害を契機として、荒川(現在の隅田川)の洪水対応能
力向上を目指して荒川放水路の基本計画が策定された。その荒川放水路
と隅田川を仕切る水門が岩淵水門。赤門と呼ばれる旧水門は国の重要文
化財に指定される。
2024年、岩淵水門竣工100周年になる。

【青山士(1878年〜1963年) 概要】
青山士は東京帝国大学(現東京大学)を卒業後、単身でアメリカへ渡り、パナマ運河掘削工事に測量のポール持ちから始め測量技師として携わる。
その後、ガツン閘門の重要部分の設計を任されるとともに、ガツン工区の副技師長にまでなった。
帰国後1912(明治45)年に内務省技師となり、荒川放水路の工事に参加。放水路工事の中でも最も難しいとされた岩淵水門の設計も行った。

投稿日時 2025-07-09 14:57:09

投稿:下村滋子