ドイツ橋とメガネ橋:故郷を遠く離れこの地に暮らす捕虜たちの哀愁がこもっている。

**鳴門市ドイツ館から車ですぐの所に「大麻比古(おおあさひこ)神社」がある。この神社の境内に往時のドイツ兵捕虜が作った「めがね橋」と「ドイツ橋」が残っている。モルタル材などの接着資材を使わず造られた本格的なめがね橋。とても小さな橋だが、故郷を遠く離れ、この地に暮らす捕虜たちの哀愁が籠っている。

**現地説明板を転記しました:

☆☆ドイツ橋(横書き看板)
 第1次世界大戦の際、中国の青島で捕虜となったドイツ兵953人が、大正6年から9年までの間、大麻町桧の坂東捕虜収容所の収容されていました。この間地元住民との間に“国境を越えた人間愛と友情”がめばえ、高い水準のドイツ文化が伝えられました。
 バターやチーズの製法、展覧会の開催、楽団による演奏会等、地元の発展に大きく貢献しました。帰国を前に記念として母国の土木技術を生かし近くで採れる和泉砂岩を使ってドイツ橋が造られました。
*四国のみち/環境庁/徳島県

☆☆ドイツ橋(縦書き看板)
 第一次世界大戦当時、近隣の坂東捕虜俘虜収容所で捕虜生活を過ごしたドイツ兵が、地域との自由な交流の中で
地元への感謝の気持ちを込め、母国の優れた土木技術を生かし、大正六年から大正八年六月までに十の橋を
造った。
 木橋が六橋、石橋が四橋で、現存するドイツ橋は同八年六月に神社境内の丸山公園に造った最後の石橋である。
今では日独両国の友情の架け橋とされている。県の史跡(平成十六年一月)に指定されている。全長九メートル、全横二・一メートル、高さ三・二メートル、撫養石(和泉砂岩)製、総重量約一九五トンの石積アーチ橋。

☆☆関連図書:
ドイツ兵捕虜の足跡 板東俘虜収容所(シリーズ「遺跡を学ぶ」139)
https://www.shinsensha.com/books/2712/

投稿日時 2022-03-28 00:57:00

投稿:吉川弘道