勝鬨橋 -可動橋が建設されるまでの歴史-

☆勝鬨橋 -可動橋が建設されるまでの歴史-
隅田川下流、勝どきと築地の間に架かる勝鬨橋は、重要文化財に指定されている橋梁です。シカゴ式双葉跳開橋と呼ばれる橋梁形式で、橋脚間の梁が開く可動橋です。1970年を最後に開かずの可動橋となり、現在は動力が橋詰にある「かちどき 橋の資料館」に展示されています。

勝鬨橋は、その構造の希少性がよく注目されますが、建設されるまでの歴史も激動で面白いものがあります。
1905年、日露戦争に勝利したことでここに「勝鬨の渡し」という舟渡しが設けられました。以降人工島である月島の開発が進められるにつれ利用者数が増加。渋滞を緩和する為、橋の建設が1911年に計画されます。当時は主要交通手段が船運で、下流に位置する橋の高さが低いと船が通せなくなることから可動橋が建設されることになりました。しかし第一次世界大戦の鉄価格暴騰や関東大震災などにより延期を繰り返します。1930年の東京港改修計画で建設計画が再び挙がり、1940年にようやく建設が実現しました。

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投稿日時 2021-04-02 23:10:00

投稿:松田 楓(Doboku Lab)