荒川放水路開削で活躍したナベトロと放水路完成記念碑

 東京を水害から守る抜本策として、荒川放水路事業(全長22km、幅約500mの人工河川)は、明治44年(1911)に着手され1930年(昭和5年)に完成した難事業である。
〇放水路開削で活躍したナベトロ
 荒川放水路の開削土量は2000万m3、築堤量は1200万m3を超え、大量の土砂運搬が最重要課題となっていた。
 放水路開削で主に活躍したナベトロ(小型トロッコ)は、鋳鉄製、ナベの容積は0.6m3の小型トロッコで、約500台が稼動していた。
 土砂を入れるバケットの部分がナベ(鍋)に似ていることからナベトロと呼ばれ、積み荷を降ろすときはナべごとひっくり返すことができる。

〇荒川放水路完成記念碑
 この碑は、荒川放水路完成を記念して建てられたもので、荒川下流改修事務所主技師(現工事事務所長)であった青山 士および工事関係者一同が工事の犠牲者を弔うために資金を出し合ったものである。
 台座は富士川の転石を、銘板の模様は当時の河川敷を埋め尽くした桜草があしらわれている。この工事の最高責任者であり功労者でもある青山士の名前は刻まれていない。
 巨大な土木事業は関係者全員で造り上げていくものであるという青山主任技師の精神が簡潔に記されている。

【参考資料等】国土交通省関東地方整備局荒川下流河川事務所ホームページ及び荒川知水資料館アモア展示資料等
 https://www.ktr.mlit.go.jp/arage/arage00031.html

【写真】写真1ナベトロ、写真2荒川放水路完成記念碑(荒川知水資料館アモアにて2019年5月6日投稿者が撮影)
 荒川放水路事業は、江戸幕府開府以来の水害との闘いにピリオドを打つ大事業の1つである。現在、放水路の広大な河川敷は憩いの場として親しまれている。
#ぶらりインフラ探訪記

投稿日時 2019-05-14 11:23:00

投稿:佐藤祐明